『ハイデガー入門』 細川亮一著 - 初心者ブログ

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『ハイデガー入門』 細川亮一著

『ハイデガー入門』 細川亮一著 より


ハイデガーは「存在」という概念を哲学した。この「存在への問い」にハイデガー哲学の魅力がある。


たとえば「である」や「がある」などいった、それぞれの存在の仕方が違うように。


しかし、今回はその魅力ではなく、本書の中の永遠と永続という似たようで全く違う概念についてみていこうと思う。



永遠と永続は似ているようで違う。


本書では、「存在は時間から理解される」というテーゼを理解するためには、そうであるからこそ「時間」について理解しなければならないという。



「時間」について「時間的」「非時間的」「無時間的」「長時間的」という時間の区分で存在者の領域が区別されてるという。



このように「時間」は時間単体そのものでは存在せず「長時間的な永遠なるもの」が存在するという。


ここで、永遠と永続の区別をしなければならない、と続く。


本書で語られる、永続性とはまとめると、「時間の中に無限に存在し続けることである」という。

つまり 今も存在し、ずっと前からも存在していて、これからも存在することだろうと意味している。

だから、永続性は過去現在未来すべてということ。そのため永続性に関しては未だ未完であり、決して全体に到達していないという。



それに反して、永遠性とは、時間の中になく、時間を超越したものであるという。

引用

それゆえ永遠なものについて、「あった」とも「あるだろう」とも言えず、

ただ「ある」とのみ語りうる。

つまり「ある」という現在においても全体としてある。






しかし、それ以降の内容は意味がわかない。。。

これ以降はついていけないのである。

最後はこう締められている。


  引用

神は有限な存在者に対して真に存在するものとされるから、そして永遠性は現在の永遠性を意味するから、真に存在するものは現在という時間から理解されている。



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